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17世紀後半ロシアの遣欧使節団がヨーロッパを歴訪する

17世紀後半ロシアの遣欧使節団がヨーロッパを歴訪する。 当時のロシアはヨーロッパと違い、辺境の遅れた地域として見られていた。 近代化の進みつつあるヨーロッパを視察し、近代化に必要な技術を持ち帰るのが目的であった。 このとき、若き皇帝ピョートル1世がオランダの造船所で、一般の職工として4ヶ月間も働いたというエピソードが残っている。 当時の先端技術が集約されている生産現場こそ合理性を学ぶのに最適な場所だったからである。 先輩職人に叱られながら、ピョートルは合理性というものの見方を体で学び、その後のロシアを急速に近代化に導いた。

17世紀前半、スペインの無敵艦隊に勝ったイギリスは、植民地の経営に本格的に乗り出し始める。植民地で原材料を作り、イギリス本土で加工し、世界中に売りさばいた。特に綿製品は飛ぶように売れ、作れば作っただけ売れるという状態だった。この好況を背景に、大量生産への要請が高まった。
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大量生産のために次々に紡績機械が開発された。 また、作業の合理化のために人々を一箇所に集めて同時に作業をさせる工場というシステムが発明された。 しかし動力源は水車、風車、家畜、人力などに頼っていた。 この頃の生産形態は工業制手工業と言われる。 工業制手工業が発達するにつれて、生産性や能率を向上するノウハウや概念が確立しつつあった。 蓄積された資本も巨大になり、資本家の力が強くなっていった。

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2009年09月20日 23:58に投稿されたエントリーのページです。

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